7.28.2004 メーランカム歴21年

メーランカムスクールができて、30年以上が経つ。その歴史の中で、21年間メーランカムスクールで教師をしている先生がいる。その先生からよく昔の話を聞く。
寮がまだなかった当時は生徒数も少なく、先生の人数も校長先生とその先生のわずか2人だったそうだ。校長先生は外での仕事がある。先生は2人と言っても、学校にいる先生は1人ということが多かったそうだ。今でこそ多少道が良くなってきているが、昔は今よりもずっと険しい道だった。当然先生の家があるチェンマイから通うことは不可能で、学校で寝泊りをしていたそうだ。夜学校に一人の時は、「寂しくて寂しくて、お酒を飲んでからじゃないと寝られなかった」と冗談まじりに言う。子どもたちも厳しい環境にいるが、先生も同じく過酷な環境で働いている。
どの先生たちよりも、子どものために懸命に働いているこの先生。村に出掛けたら、どの村人もこの先生を知っている。「昔、この人に授業をしていた。あの人にも…」と村には教え子ばかり。
結婚時期の早いこの地域で『もうすぐ初めての生徒の「孫」に教えられる。俺も歳を取ったなぁ』と嬉しそうに言う、先生の顔が忘れられない。


 

 
 

7.26.2004 子どもたちをよく見て!

 今日は、先生の友人の誕生日だったそうです。その友人からメーランカムスクールの生徒にクイッティアオ(タイの麺料理)が寄贈されました。
 朝から先生たちはクイッティアオの準備に追われ、生徒たちも駆り出されて、午前中の授業は中止になってしまいました。そして、生徒たちの昼食はクイッティアオのみ。育ち盛りの生徒たちが夕方にとてもお腹を空かせていました。
 先生の友人が行った行為。決して悪気ではなく、善意から生じた行為ですが、生徒たちの様子が伝わっているのでしょうか。授業が中止になって、お腹も空かすことにもなってしまいました。

     

私たちに「なにかしたい」気持ちがあっても、ニーズがあるところにしなくてはなりません。また、そのニーズを知るためにも、関係者を通すのではなく、直接子どもたちに耳を澄ますことが必要なのではないでしょうか? 今日の様子を見ていて、私も気を引き締められました。


 
 
7.22.2004 パソコンの授業

 メーランカムスクールには、パソコンの部屋がある。2年前にタイのある会社からの寄付でパソコンが届いたそうだ。メーランカムスクールでは義務教育という訳ではないが、小学3年生からパソコンを習っている。私も小学3年生と5年生にパソコンを教えている(始めは「手伝って!」と言われたのだが、いつのまにか私一人で教えることになっていた)。
 生徒に「なんの授業が一番好き?」と聞くと、「パソコンの授業が好き!」と言う生徒がとても多い。ゲームや物珍しさに惹かれているようで、使い方はハチャメチャだ。なので、壊れてしまうのではないかといつもドキドキしっぱなしである。
 私個人的には、英語もパソコンも、子どもたちの環境からおかしなぐらい遠い存在だ。英語はある程度わかる。タイでは小学校から英語を「習わなくてはいけない」、また進学するためにも英語を勉強してなくてはならない。
 一方、パソコンはどうだろうか?通常より遅れている正規のカリキュラムを削ってまで、パソコンの授業が必要なのだろうか?おそらく自分では決して買うことができない、パソコンである。
そんなことを考えながらも、生徒の「明日は、パソコンの授業だよね!?ねっ!?」という声に応えて、授業をしている。

 
     
                   
 

     
 
7.20.2004 サムン郡の健康フェア

今日はサムン郡の高校で、「健康」フェアのようなものがあり、メーランカムスクールからも生徒7人と先生2人が参加し、私も付いて行った。サモン郡の小・中・高学校の高校の生徒・先生が集まって来ていた。
生徒がエアロビクスを披露したり、薬物・HIVについての展示が行われていたりしていた。メーランカムスクールの生徒は、健康についてのポスター作り、カラオケ大会に参加した(なぜか、タイではこのようなお祭り気分な場所には必ずカラオケ大会がある)。
今は高校に通っている、メーランカムスクールの卒業生に何人か出会った。メーランカムスクールに通う子どもたちは、「学校に通う」こと自体に困難が伴うケースがある。また、学校も決して良い環境とは言えない。さまざまな要因によって、正規のカリキュラムから
大分遅れている。「たとえ進学できても、勉強についていけるのか?」と以前から気になっていた。
 卒業生に「高校の勉強は難しい?」と聞くと、「難しいけど、楽しいよ」と返ってきた。
一緒に行った生徒の何人かが、とても暑い中にも関わらず、長袖の上着を着ていた。この子どもたちは、長い間着古した制服しか持っていない。周りの生徒は、真新しい制服を着ている。生まれた時からそこにあった「差」を、彼らが背負わなくてはならない。

   
 
 
 
 
 

     
     

7.16.2004
 バ-ンフェ-ジャ-カ-ンスクールへ行く

今日は、AWCが新しく校舎を建てているバーンフェージャーカーンスクールへ行く。チェンマイから車で1時間半ほどのチェンダオ郡にあり、校長先生が迎えに来てくれた。
 学校は、中国を思わせる岩のような山の間に建てられていた。大勢の生徒が通う、とても広い学校だった。ここには、ラフ族・リス族の子どもたちが通っている。生徒の村々の中には、麻薬の問題を抱えている村があると、校長先生から聞く。

 
 
 
     

この学校では豚・鶏・魚を飼ったり、本格的に野菜を育てていたりしている。支援を受けてお金を貰う方が、先生たちには楽かもしれない。しかし、先生たちは「子どものため」を思って頑張っている様子が伺えた。
新しい校舎は、タイらしくなく?順調に建設されており、完成間近であった。

 

7.14.2004
 AWCの理事がメーランカムに来る

13日にAWCの理事がチェンマイに来た(3名)。今日は、一緒にメーランカムスクールへ行く。今週は役所からの視察も来ており、先生たちは以前から準備に追われていた。
役所から視察に来た方々・先生方と昼食を食べている時に、生徒がタイ舞踊とタイの音楽を披露してくれた。私なんかは、カレン族の踊り・音楽の方が見てみたかったのだが。
食事の後は、パカノー村にある分校を見に行く。生徒たちが暗い校舎の中で、勉強をしていた。一人の先生が、同時に2学年を教えている。分校まで連れて行ってくれた先生に、「ここの柱が腐ってしまった。あそこの壁に穴が開いてしまった。」と言われ、どう反応したら良いのか困ってしまった。

   
 
 
 
 

7.12.2004 文通を始める

 8月にAWCのスタディツアーが予定されている。ここメーランカムスクールにも1泊2日で訪問する。短い滞在期間でも、お互いにできるだけ交流をもってもらいたいと思い、文通を企画した。
 メーランカムスクールの生徒たちに、「8月に友達が来るんだけど、その人たちに手紙を書きたい人いない?」と声を掛けると、7人が「書きたい!」と言ってくれた。
 初めての体験なのだろうか、「なにを書いたらいいの?」とよく聞かれた。「名前とか、年齢、兄弟が何人いる、趣味とか、なんでもいいよ」と答えただけで、生徒自身に任せていた。放課後の教室に、みんなで集まって手紙を書いている姿があった。
 生徒が書いた手紙を、タイ語から日本語に翻訳すると、驚いてしまった。学校生活や家庭生活で「○○が辛い。△△が辛い。」と書かれており、「日本のみなさんに、これからも支援してほしい」というようなことが書かれていた。
 「友達」ということが、うまく伝わっていなかったのか?私の存在が生徒たちにとっては、このような存在なのか?スタディツアーの参加者と生徒たちの「純粋な友情」を夢見ていただけに、強いショックを受けた。私が考えていた以上に、日本人とメーランカムスクールの生徒は「離れて」いるのかもしれない。

 
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